🪞 “助けてもらう”が、なぜ“任せている”になるのか
10月23日放送の『櫻井・有吉 THE夜会』で、山田優さんが弟・山田親之條さんと共演。
子育てを手伝ってもらっているエピソードを語りました。
しかし翌日、ネットニュースではこう見出しが並びます。
——誰が“失墜”と決めたのでしょうか。
この見出し構造こそが、SmokeOutでいう「逆算型ラベリング(Retrospective Labeling)」。
“育児を手伝ってもらっている”という中立的な事実に、「手伝われている=任せている」「任せている=イメージ失墜」という評価の連鎖を後付けしています。
📡 「発覚」ではなく、番組で自ら語っている
そもそも記事が「発覚」と書いている事実自体、奇妙です。
“発覚”とは通常、隠していたことが外部から暴かれたときに使う言葉。
しかし、山田さんは番組で自らエピソードを語っていました。
つまり、「発覚」という語は、事実の透明性を“スキャンダル化”する装置として機能しているのです。
これはSmokeOutが繰り返し指摘してきた言語的誇張(Linguistic Exaggeration)の一種。
内容よりも語感で読者の感情を誘導する、典型的なレトリックです。
🧩 家族の支援が“依存”に変わる構造
記事内にはこう書かれています。
「平日は末弟に子供の世話任せっきりとかやべーわ」
「山田優弟に頼って子育てしてるのか。。4人も何故産んだのだろうか」
SNS上の数コメントを引きながら、“世間の声”として強調。
しかし、それを受けた筆者の語り口は、こう続きます。
「週5日、弟に子育てや家事を“代行”するような生活をしていたことに違和感を覚える人もいたのかもしれません」
「違和感を覚える人もいたかもしれません」——この曖昧な主語。
実際に誰が違和感を覚えたのかは示されません。
しかし、語りの構造上は読者自身がその“違和感”を感じたかのように誘導されます。
国際ジャーナリスト連盟(IFJ)行動規範ではこう明記されています:
「報道は、個人の私生活に関して、不必要な価値判断を行ってはならない。」
家庭内の助け合いを“妻まかせ”“失墜”とラベル付けする行為は、まさにこの原則に反します。
🧭 “妻まかせ”という見えない責任転嫁
記事の終盤にはこうあります。
「小栗さんが優さんに家のことをまかせきりになっていることを懸念する向きもあったのです。」
“懸念する向き”——つまり、誰かはわからない。
それでも「懸念」があると言い切ることで、「妻まかせ」=夫の問題という新たな文脈を生み出しています。
結果として、報道全体が「家族=批評対象」として組み立てられているのです。
🪶 見出しリライト(SmokeOut基準)
元タイトル:
山田優、弟の「週5で子育てヘルプ」発覚で“育児に奔走”イメージが失墜…疑われた小栗旬の“妻まかせ”体質
改善案:
山田優さん、弟の支援エピソードが話題に「助け合う家族」に注目集まる
意図:
- “発覚”や“失墜”などの感情語を除去
- 番組の事実(自ら語った)を中心に置く
- 「助け合い」を価値中立的に表現
🌱 まとめ:支え合う家族を“疑惑”で語る違和感
この記事を読んで感じたのは、「家族で支え合う」という当たり前の姿が、まるで“問題”のように扱われていることへの違和感でした。
4人の子どもを育てながら、身近な家族に助けてもらう。
それは特別でも、珍しくもありません。
むしろ、支え合いながら日々を回していく——
そんな現実の一コマに、あたたかさを感じた人も多かったはずです。
それを「イメージ失墜」や「妻まかせ」と書くことで、生活の中の優しさが“疑惑の構造”にすり替えられてしまう。
報道は、家庭を評価軸で語る前に、そこにある努力と協力の温度を想像するべきではないでしょうか。
SmokeOutは、火のないところに立つ煙を、今日も静かに晴らします。