横山裕さんが『24時間テレビ』でランナーを務め、多くの人が胸を熱くしました。
……なのに記事は「やす子とは違う」と冒頭から比較を持ち込みます。
「やす子とは違う」評価上げたランナー横山裕の『24時間テレビ』“波乱の生い立ち”は同じも支持される理由とは
記事の内容を要約すると:
- 2023年:やす子さんがマラソンランナーを務めるも「不幸の押し売り」などと批判
- 2024年:横山裕さんがランナーを務め「前向きな姿勢が評価された」
- 結論:「やす子とは違って横山は支持される」
つまり記事は冒頭から「やす子=ダメ、横山=良い」という比較ありきで書かれているのです。
横山裕さんは走りました。
やす子さんも、去年自分の過去と向き合いながら走りました。
比較される必要なんて、どこにもありません。
🧨 「違う」と言う前に「同じ挑戦」を見るべきです
「やす子とは違う」
記事はこの一文で、横山裕さんを持ち上げると同時に、やす子さんを引き下げました。
元記事の具体的な表現を見てみましょう:
「やす子さんは不幸な過去を前面に押し出して走った、悲壮感があった」(※元記事の表現を要約)
「一方、横山さんは前向きな姿勢で感動を呼んだ」(※同上)
これは典型的な 二項対立のフレーミング(False Dichotomy) です。 本来「やす子さんも横山さんも、それぞれ異なる方法で視聴者に勇気を与えた」という第三の選択肢が存在するのに、記事は意図的にそれを排除しています。記事はこの一文で、横山裕さんを持ち上げると同時に、やす子さんを引き下げました。
ユネスコ フェイクニュース対応ハンドブック: SNS 時代のジャーナリズム教育
”情報、出来事、情報源、そしてそのストーリーを公正に報道するには、予断を持たずに慎重に情報を取捨選択し、重み付けし、評価することが必要です。
背景を説明し、様々な競合する視点を示すことで、報道に対する信頼と信用が生まれます。”
🪜 踏み台にされた「不幸の物語」
記事は「やす子さんは不幸を売った」と決めつけてから横山裕さんを再評価します。
これは ストローマン論法(Strawman Fallacy)。
相手の言動を単純化・歪曲して反論する技法です。
やす子さんは“不幸をネタ”にしたのではなく、自分の過去と正面から向き合っただけです。
二人とも、それぞれの方法で逆境と向き合ってきただけ。そこに優劣をつける根拠はありません。
IFJ Global Charter of Ethics for Journalists
"Journalists shall ensure that the dissemination of information or opinion does not contribute to hatred or prejudice and shall do their utmost 〜"
ジャーナリストは、情報や意見の発信が憎悪や偏見を助長しないよう徹底し、最大限の努力を払わなければならない。
🧩 「去年は失敗、今年は成功」という乱暴な区切り
やす子さんのチャリティーマラソンを「不幸を押し売り」「悲壮感」とだけ描き、
横山さんは「感動を呼んだ」と二分。
しかし実際には、やす子さんも多くの視聴者に勇気を与えています。
この切り分けは 性急な一般化(Hasty Generalization) に該当します。
「去年は不幸の押し売り」「今年は希望」——そんな雑な二行まとめで人の努力を区切ってはいけません。
さらに記事は「横山裕さんは明るいから支持される」と結論づけました。
これも 本質化(Essentializing)+性急な一般化(Hasty Generalization) です。
👉 やす子さんが見せたのは、暗さを越えて生きている姿。それを“不幸”と単純化するのは侮辱です。
👤 「X上では」で世論をすり替えないでください
「X上では〜」と書かれると、多数派の意見のように錯覚させられます。
これは 主語すり替え(Subject Shift) です。
👉 やす子さんを応援する声もあったのに、都合のよい声だけを“世論”扱いにするのは不誠実です。
🌱 二人とも「主体的に」走ったのです
横山裕さんは弟を養い、母を亡くし、過去を抱えながら走りました。
やす子さんも複雑な家庭環境を語り、勇気を持って走りました。
どちらも主体的に、誰かのために走ったのです。
👉 それを「比較」で並べて勝ち負けにする必要はまったくありません。
批判されるべきはランナーではなく、比較でしか記事を書けなかった記者です。
🪄 タイトル改善案
元タイトル:
「やす子とは違う」評価上げたランナー横山裕の『24時間テレビ』“波乱の生い立ち”は同じも支持される理由とは
改善案:
- 横山裕さんの“まっすぐな誠実さ”
- やす子さんと横山裕さん、それぞれの走りで伝えたもの
- 24時間テレビが照らした共感のリレー
🔚 まとめ
横山裕さんの努力は、それだけで十分に人を動かします。
やす子さんの挑戦も、同じように胸を打つものでした。
にもかかわらず記事は「やす子とは違う」と比較の煙を立て、価値を競わせました。
素直に2人の挑戦を讃えて、2人が伝えたかった困っている子どもたちの現場を取材した記事を書いてみればどうでしょう。
——SmokeOut
火のないところに立つ煙を、読み方でほどくために。