🎬 “救世主”は最初からいなかった?——目黒蓮さんに責任を背負わせすぎな記事構成
記事はこう書きます。
「競馬に興味がなくて離脱」「視聴率が下がった」「目黒蓮が救世主になれるか」。
──そんな三段構えで、“不安の物語”を作り上げていました。
でも、少し立ち止まってみると、構成そのものに小さな違和感が見えてきます。
それは「作品の性質」と「俳優への責任」を混ぜて語っているということです。
「競馬に興味がなくて離脱」の声も…“救世主”目黒蓮は視聴率ダウン『ロイヤルファミリー』を救えるか
🌧️ “数字”と“救世主”の物語化
もともと『ロイヤルファミリー』は、競馬というニッチな世界を正面から描くドラマです。
原文もこう伝えています。
「『ザ・ロイヤルファミリー』は“見る人を選ぶ作品”。競馬が題材なだけにそこは相当しっかりと描かれている」
つまり、制作陣も「万人受けしないテーマ」であることを理解していたはず。
視聴率の波があるのは自然なことです。
それなのに、記事は「『ロイヤルファミリー』を救えるか」「救世主になってほしい」と続きます。
まるでドラマの外で、もう一つのドラマを作っているようです。
“Visual presentation and headlines shall not mislead the public.”
🪞 「離脱の声」って、誰の声?
記事にはこんなSNS投稿が並びます。
《ロイヤルファミリーは競馬に興味がなくて離脱…》
《特に面白いとも思えないこの絶妙な駄目な感じなんなんだろう》
《母は競馬がわからなすぎて離脱したとのことだが、精通している勢も離脱していきそう》
でも、これが何件の投稿なのか、どの層の意見なのかは書かれていません。
“数人のつぶやき”が“世論”のように広げられてしまう。
SmokeOutでは、これを 「部分の全体化(Representativeness Bias)」 と呼びます。
Provide context. Take care not to misrepresent or oversimplify.
🎯 俳優に“起爆剤”を求める短絡
記事の中で繰り返されるのは、こんな言葉です。
「目黒さんの登場が起爆剤となって同ドラマに再度注目が集まり、視聴率が上がる——後半戦の“救世主”になってほしい」
「救世主」「テコ入れ」「起爆剤」……。
こうした言葉が並ぶと、作品全体の努力がすっぽり抜け落ちてしまいます。
脚本も、演出も、撮影も、編集も。
すべてチームで作るのがドラマなのに、数字の上下だけで「目黒蓮が救うか」と構成するのは、あまりにも乱暴です。
この論調は、結果次第で、彼だけが“敗戦の責任者”扱いになってしまう——。
それこそが、「Attribution Bias(帰属の偏り)」 です。
🐎 そもそも“競馬が主役”の物語
記事にもこう書かれています。
「『ザ・ロイヤルファミリー』はJRAが全面バックアップし、馬主、調教師、騎手なども協力して実際の競馬場で撮影が行なわれる」
そう、このドラマの主役は“馬と人”です。
最初から競馬がテーマなのに、「競馬に興味がない人が離脱」と言われても、
それは“テーマに合わなかっただけ”の、自然な反応です。
テーマに刺さる人が深く楽しめば、それでいいという挑戦的な向きもできるのでは?
すべての人にウケなくても、作品として成立しているのです。
💬 SmokeOutまとめ
この記事の本当の課題は、「誰に何を背負わせているか」。
- “数字の波”を“人気低下”に見せる構成
- “数人の声”を“世論”として引用
- “チームの作品”を“個人の責任”にすり替え
こうした構造が重なって、“目黒蓮=救世主”というドラマの外の“もう一つの物語”を作ってしまったのです。
でも本来、『ロイヤルファミリー』は、“救世主”ではなく、“継承”の物語。
🌱 結び
視聴率の波で作品を測らない。
不安や責任を誰か1人に預けない。
“救世主”じゃなく、“リレーの走者の1人”としてのSnow Man目黒蓮さんを、静かに見届けたいです。
🔖 透明性ボックス
- 本稿は構成・表現の分析であり、作品や俳優の評価を目的としません。
- 引用は出典を明示したうえで、公平な範囲で再掲しています。