元楽天、ヤクルトの投手、一場靖弘さん。いまは独立リーグ球団の社長も務めています。スポーティングニュース日本版は10月20日、そのインタビュー記事を配信しました。一場さんがアマチュア時代を振り返る内容です。
巨人入り白紙、騒動の真実は「墓場まで持っていく」…世代No.1投手の苦悩「人間不信に」
見出しに並ぶのは「騒動」「真実」「苦悩」「人間不信」です。読む前から、重い告白の記事だと感じます。
ただ、本文の大半は高校と大学での歩みです。そして、一場さんの心の中を語る言葉には、本人のものと記事のものが混ざっています。今日はその境目を探していきます。
「傷が癒えることはない」は誰の言葉か
記事の後半、2004年の騒動を振り返る場面です。
あれから22年が経過し、周囲から「もう時効だろう」「詳細を話してもいいだろう」と言われることが増えているが、まだ大学生だった一場氏を深くえぐった傷が癒えることはない。
「傷が癒えることはない」には、かぎかっこがありません。一場さん本人の言葉ではなく、記事の地の文です。他人の心の中を、記事が言い切っています。
これは内面の断定です。内面の断定——本人が語っていない気持ちを、書き手が事実のように書くことです。読者は、本人がそう言ったように受け取りやすくなります。
同じ書き方は、ほかにもあります。
一場氏にしかわからない真実がある。それを一人で背負っていく覚悟なのだ。
「覚悟なのだ」も記事の言葉です。本人が語ったのは、次の一言でした。
あの時も言わなかったし、それは貫きましたね。僕は真相は言いません。墓場まで持っていきます
本人は「言いません」と言いました。そこに「覚悟」や「一人で背負う」という意味を足したのは記事です。気持ちを想像すること自体は、読み物の役割でもあるでしょう。ただ、どこまでが本人の言葉かは、読者に分かるように書く必要があります。
見出しの「真実」と、本文の重さ
見出しの「騒動の真実」という言葉も、本人のものではありません。本人の言葉は「真相は言いません」です。
そして、騒動に触れているのは、二ページある記事のうち後半の数段落です。一ページ目はすべて、野球を始めた頃から大学1年までの話です。甲子園での全国制覇、明治大学への進学の経緯が、本人の言葉で丁寧に語られています。
見出しだけを読むと、騒動の告白が中心の記事に見えます。実際には、一人の投手の歩みをたどる記事です。見出しと本文の重さが、少しずれています。
見出しの書き方は、読者が何を期待して開くかを決めます。「真実」と書かれていれば、真相が明かされると思うでしょう。けれど、本人は語らないと決めています。開いた読者は、期待と違うものを受け取ることになります。
「誤った報道」を書く記事の物差し
この記事は、当時の報道にも触れています。
誤った情報や誇張された報道も多く、騒動はエスカレート。
どの報道が誤りで、何が誇張だったのか。記事は具体例を挙げていません。その根拠になっているのは、本人の次の言葉です。
今でこそいろんな情報が出てきていますけど、当時は真実ではないことも報道されていました。誰も味方してくれませんでしたね。本当にきつかったです
本人の受け止めとして伝えるなら、この引用で十分に伝わります。記事は、それを地の文の事実として言い直しています。
当時の報道の誤りを指摘するなら、どの記事が何を誤ったのかを示す必要があります。それがないまま「誤った」と書けば、どうなるでしょうか。今度はこの記事の言葉が、読者には確かめられなくなります。
ここには、少し皮肉な重なりがあります。記事は、かつての報道が当事者の気持ちを置き去りにしたと伝えています。その同じ記事が、本人の語っていない気持ちを言い切っているのです。
本文にある確かなもの——記録と本人の言葉
ここで公平に書いておきます。この記事の大部分は、とても確かです。154キロの球速、107の奪三振、完全試合の達成。記録は具体的で、読者が確かめられる形で書かれています。
本人の言葉も豊富です。甲子園での優勝について、一場さんはこう語っています。
3年間しかチャンスがないですし、甲子園での優勝は一生に1度できるかどうかのすごいこと。おんぶに抱っこで連れていってもらって優勝を経験させてもらって、次の年の目標もできました
先輩への感謝が、本人の言葉ではっきり伝わります。大学時代の厳しい上下関係も、本人の言葉で語られています。当時の空気を、読者は本人の声で知ることができます。騒動について語らないという本人の選択も、記事は尊重しています。真相を聞き出そうとはしていません。
記事の芯は、本人の言葉と記録です。煙は、その周りに書き手の言葉が足されたところから立っています。
SmokeOut視点:寄り添うことと、代わりに語ること
インタビュー記事は、当事者に寄り添って書かれることが多いものです。それ自体は、悪いことではありません。この記事も、一場さんへの敬意を持って書かれています。
ただ、寄り添うことと、代わりに語ることは違います。「傷が癒えることはない」と書いた瞬間、記事は本人の心を決めてしまいます。本人が明日、違うことを感じていても、記事の中では癒えないままです。
本人の言葉はかぎかっこの中に。書き手の想像は、想像だと分かる形で。その線を一本引くだけで、記事の温度は本人の温度に近づきます。
一場さんは、語らないことを選びました。その沈黙を、記事が言葉で埋めてしまわないこと。それも、当事者への敬意の一つではないでしょうか。
まとめ:かぎかっこの外を、もう一度読む
- ✓ その気持ちは、本人の言葉ですか、記事の言葉ですか?
- ✓ 見出しの「真実」は、本文で明かされていますか?
- ✓ 「誤った報道」の具体例は、記事に書かれていますか?
本人の言葉と記録は、確かな記事でした。煙は、かぎかっこの外に書かれた気持ちから立っています。かぎかっこの内と外を分けて読めば、本人の声はもっとはっきり聞こえます。