2008年、奈良の公式マスコット「せんとくん」が公開されました。直後に、強い批判を浴びました。作者の彫刻家・籔内佐斗司さんは、届いた批判メールに一通ずつ返信したといいます。プレジデントオンラインは9月29日、その籔内さんへのインタビューを配信しました。
Yahoo!ニュースのトピックスに並んだ見出しは、こうでした。
批判350通に返事 せんとくん作者
元の記事の見出しは、次の通りです。
「気持ち悪い」と批判350通→奈良の顔に…せんとくんの作者に「つらくなかった?」と聞いて返ってきた意外な答え
炎上と誹謗中傷を扱った記事です。煽りやすい題材です。しかし読み終えて、煙がほとんど立っていないことに気づきました。今回は、この記事のどこが「煙たくない」のかを見ていきます。
要点を先にまとめます。
- 数字に根拠がある。批判350通は、投稿総数約1000通の一部だと本文で示している。
- 一次資料への道がある。メールと返信は今も公式サイトに残っていると書いている。
- 引用の加工を明示している。「個人情報を伏せたかたちで」「一部省略して引用」と断っている。
- 書き手の予想が外れたことを、そのまま書いている。
- 仮説は仮説として書いている。「〜ではないか」「考え抜いて、この仮説に至った」。
- 取材相手が答えを拒んだ場面も、拒んだまま載せている。
- 「傷つき、乗り越えた」という分かりやすい物語に、無理に落とし込んでいない。
この記事が「煙たくない」理由——数字と一次資料
炎上の記事で、いちばん煙が立ちやすいのは規模の話です。「殺到」「続出」と書けば、数を示さずに大きく見せられます。この記事は、逆のことをしています。
当時作者である籔内氏のホームページには、2カ月で約350通の批判メールが寄せられたという。籔内氏はそれに対し、一通ずつていねいに返事を綴った。
まず「2カ月で約350通」。期間と数が示されています。そして後半で、その数を相対化します。
籔内先生の公式サイトに寄せられた意見も、決して批判的なコメントばかりではなかった。2月から4月までの投稿総数は約1000通、そのうち批判的な内容は350通ほどだ。
350通は、約1000通のうちの一部でした。見出しの数字を、本文が自分で文脈に戻しています。ここは、見出しの温度を本文が下げる、良い形です。
さらに、読者が確かめる道も示されています。
騒動当時、籔内先生に寄せられた「ご意見」とそれに対する「回答」は、個人情報を伏せたかたちで今でも公式ホームページ上に残っている。そのやりとりを、ここで一部省略して引用する。
資料がどこにあるか。引用にどんな加工をしたか。どちらも書かれています。引用の直後にも、但し書きがあります。
(強い誹謗中傷を含むため、コメントの一部を省略して引用)
省略したことを隠さない。これが、引用の信頼を支えます。
「主観」と「事実」の線引きが丁寧
この記事には、事実の層と、書き手の解釈の層があります。二つが混ざっていません。
事実として置かれているものは、こうです。
- 2008年2月、平城遷都1300年祭の公式マスコットが公開された。
- 2月から4月までに約1000通の投稿があり、批判は350通ほどだった。
- 名前の公募には1万4500件の案が寄せられた。
- 2011年、奈良県の公式キャラクターに選任された。
- 籔内さんは2021年3月に東京藝大教授を退任した。
一方、解釈は解釈の形で書かれています。記事の終盤、書き手はせんとくんが拒絶された理由を考えます。
せんとくんへの拒絶も、同じ構造だったのではないか。私たちは、せんとくんの背後にある日本文化の文脈を、すぐには読み取れなかった。
考え抜いて、この仮説に至った。
「ではないか」「仮説」。断定していません。取材相手が理由を語らなかったので、書き手が自分で考えた。そして、考えたものは考えたものだと、はっきり書いています。事実の文体で解釈を滑り込ませる記事とは、ここが違います。
もう一つ、書き手は自分の予想が外れたことを隠していません。
「つらくはありませんよ。せんとくんが受け入れられた理由も、わかりません」
73歳になった籔内氏によって、早々に取材の柱は折られた。
取材の柱が折れた。普通なら、記事にしにくい展開です。この記事は、それを冒頭に置きました。そして最後に、こう振り返ります。
先生が答えてくれなかったのではなく、先生への取材の中に、こちらがあらかじめ用意した答えを探していたのかもしれない。
書き手が自分の前提を疑う。SmokeOutが記事に求めている姿勢そのものです。
「答えない」を、答えのまま載せる
取材相手が話したがらない場面は、どの記事にもあります。多くの記事は、その部分を削るか、推測で埋めます。この記事は、どちらもしていません。
「もう昔の話ですし、蒸し返すのはやめましょうか」
炎上の理由を聞いた問いは、この一言で終わります。記事はこう書いて、それ以上踏み込みません。
当時のことを追及しようとする問いは、その一言で折られた。
相手が線を引いた場所を、記事も守っています。
誹謗中傷との向き合い方についても、本人の言葉がそのまま置かれています。
「同じ土俵で相撲をとったら、泥仕合になるだけでしょう」
そして記事は、最後にこう書きます。
そこには、「傷つき、乗り越えた」というわかりやすい物語性も、読む人の背中を押す教訓もない。
炎上を扱う記事は、「傷ついた人が乗り越えた」という型に流れやすい。読者もその型を期待します。この記事は、型に合わない答えを、合わないまま届けました。それが、この記事のいちばんの美点です。
残る薄い煙——それでも書いておきます
公平のために、気になった箇所も記しておきます。二つあります。
2008年2月、奈良が燃えていた。
導入の比喩です。文学的な書き出しで、読者もそう受け取るでしょう。ただ、「燃えていた」「衝撃を受け」といった温度語が、冒頭に集まっています。本文が数字で温度を下げるまで、少し間があります。
一方で当時のマスコミはまだインターネット世論の対応に慣れておらず、まるで奈良県内の寺社がこぞって反対しているかのように報道したのだ。
当時の報道が、そのように偏っていたのか。この記述には、具体的な媒体や記事が示されていません。根拠として続くのは、籔内さんの言葉です。
「実際は『別に反対していない、放っておきなさい』と言ってくださる寺社の方がほとんどでしたので、私は心配していませんでした」
ただ、これは寺社の側の話です。報道の側がどう書いたかは、読者が確かめる手がかりがありません。
どちらも、記事の土台を揺らすものではありません。快晴の空に、薄い雲が二つ。その程度です。
まとめ:用意した答えを手放した記事
- ✓ 炎上の「数」は、全体の中でどのくらいの割合だと書かれていますか?
- ✓ 引用に省略や加工があるとき、記事はそれを断っていますか?
- ✓ 書き手の予想と違う答えが出たとき、記事はそれをどう扱っていますか?
誹謗中傷という重い題材を、数字と一次資料と本人の言葉で組み立てた記事です。そして、書き手が自分の前提を疑う姿まで載せています。誰かを落とさず、煽らず、答えの出ない問いを問いのまま残す。こういう記事が、もっと読まれてほしいと思います。