🍽️ 芸能人トークが“特定班ロジック”に変換されるまで
記事は、有吉さんが「態度が変わった飲食店」にがっかりしたエピソードをラジオで語ったことから、こう展開します。
有吉弘行が飲食店に激怒して“特定班”始動、危惧される店への個人攻撃と見習うべき大先輩の心遣い
A:有吉が嫌な対応を受けた
→ B:ラジオで披露した
→ C:ネットニュース化
→ D:“特定班”が動くはず
→ E:個人攻撃・経営打撃の可能性
ここで使われるのは「はず/かもしれない/可能性」といった推量語の連打。
「…探し当てようとする人が出てくるはずです」
「…個人攻撃をしてしまうかもしれません」
「…経営的な打撃を受ける可能性だってあります」
形式上は推測に留めていますが、読者に残る印象は「特定班が動き、店が叩かれる」へと傾きます。
これは 推測を事実のように提示する誤導 であり、国際基準でも危険とされています。
- UNESCO – Journalism, ‘Fake News’ & Disinformation:推測を事実として提示することを避けよ
- SPJ Code of Ethics – Provide Context:文脈を提供し、誤解を招かないこと
つまりこれは「予測」ではなく、記事自体の読者に対する “指令” に近い。
「火事になるかも」と警告しながら、足元にガソリンを撒く構図です。
🎭 ビートたけしさんとの比較——美談のトリック
記事はさらに「有吉=思いやり不足」「たけし=思いやりの人」と対比します。
たけしさんは「嫌なら二度と行かないだけ」とそっと去る美談が強調されます。
しかし、彼は過去に週刊誌襲撃など強烈な攻撃性を見せたこともある。
「そっと去る」は、頂点に立った者だからこそ可能な 権力の抑制 の可能性もありませんか?
一方、有吉さんのラジオ毒舌は、一般客が抱く不快感を代弁する ガス抜き芸。
ラジオで冗談混じりに語っているだけ。
これは「代弁機能」を持つ芸であるにも関わらず、記事は「心遣いの有無」で切り捨てています。
つまりここには 美談比較のトリック が潜んでいます。
「たけし=理想/有吉=未熟」という単純化された図式で、読者を誘導しているのです。
こんな単純な話ではないのでは?1つのエピソードで1人の人間性を語り切れるの??
📻 一理あるかもしれないけれど飛躍
「特定班が動くかもしれない」という指摘自体、一理はあります。
ただし筋道を見直すと——
A:有吉さんが“感じの悪い接客”に遭遇
→ B:ラジオでエピソードを語る
→ C:ネットニュース化・話題化
→ D:特定班が動くはず
→ E:個人攻撃・経営打撃の可能性
❗ここが飛躍:B→D
問題:「B(ラジオで語った)」だけでは、「D(特定班が動く)」は導けません。最低でも
- 店を特定できる手がかり(固有名詞/位置情報/特徴描写)を明示したか、
- 特定が実際に進んだ痕跡(検証スレッド・誤特定の報告など)があるか、
- 先行事例と類似性が示されているか、
などの追加前提が必要です。記事はこの橋渡しを提示し切れていません。
現実に起こり得るとしても、それを事実のように扱うのは non sequitur(論理の飛躍の誤謬)。
「もっともらしい筋道」こそ煙幕。
その煙に巻かれた読者は「必ず起きる」と錯覚してしまいます。
✍️ 見出しリライト
元:
「有吉弘行が飲食店に激怒して“特定班”始動、危惧される店への個人攻撃と見習うべき大先輩の心遣い」
改善案:
- 「有吉弘行、接客への戸惑いをラジオで明かす エピソードトークとして紹介」
- 「有吉弘行、行きつけ店での出来事を明かす ラジオでのエピソードにファン反響」
- 「有吉弘行、接客で感じた違和感をトーク 番組内で冗談交じりに披露」
💡 結論:煙の正体を見抜け
元記事は「特定班が動く」という煽りと、「たけし美談」の単純比較で煙を焚きました。
しかし実際には——
- 特定班論法は「予測」ではなく「指令」に近い
- たけしの美談は「権力の抑制」、有吉の毒舌は「代弁芸」
この違いを見抜けば、煙は一瞬で晴れます。
記事の煙にむせるのではなく、冷静に嗅ぎ分けるのがSmokeOutの役目です。
🔥 煙濃度(炎上指数)
合計=14/18 → 煙濃度77.8%
👉 煙が濃い理由
- 推量語の連打による「断定化」誤導
- 美談比較による複雑さの単純化