💠 “責任感”という言葉が向けられた先へ
——Mrs. GREEN APPLE名古屋公演報道が見落とした「支える視点」
🌫️ 「責任感」という一語が作る“誰かが悪い”構造
10月25日、Mrs. GREEN APPLEのドームツアー初日。
名古屋ドームで、ライブに来ていた妊婦さんがトイレで出産したという出来事がSNSで拡散しました。
ニュースの見出しはこうです。
『ミセス』ファンの妊婦がライブ会場トイレで“出産”に賛否、開場遅延で「責任感」への追及
「責任感」という言葉。
この一語が入った瞬間、読者の心には“誰が悪いの?”という構図が立ち上がります。
けれど、本文を読むと——
「母子共に健康だったといいますが、これが原因で開場時間が遅れたのではとの推測が広がり…」
ライブ遅延との因果関係は、どこにも確認されていません。あくまで推測。
それでも、「責任感」「追及」という言葉が並ぶと、出来事は“誰かの過失”として読まれてしまうのです。
🧩 SNSの声が、“追及”という社会的行為に変わる
記事には、SNSの投稿がいくつも並びます。
《行きたい気持ちはわかるけど、周りに迷惑かかるし、自分の身体を一番に考えて》
《普通に考えたら行くべきではないってなりそうなもんだけど……誰か止めなかったのかな》
《親としての責任感がなさすぎんじゃない?》
一つひとつは、驚きや心配の声。
けれどそれがニュース記事の中で“社会の声”として再構成されると、“母親を責める空気”へと変わってしまいます。
UNESCOの報道教育ハンドブック(Journalism, ‘Fake News’ & Disinformation (2018))
“Journalists should distinguish clearly between verified information and assumption, and avoid treating unverified social media content as evidence.”
(記者は、検証済み情報と推測を明確に区別し、未確認のSNS投稿を証拠のように扱ってはならない。)
報道が“反応”を拾うとき、それが誰かを守るためなのか、裁くためなのか。
その差が、記事の意味を決定づけます。
🤰 「行くな」と言えるほど妊娠は単純ではない
そもそも妊娠の状態は人それぞれ。
「元気に通勤していた」「歩けた」「気分転換したい」という段階の人も多い。
それなのに、ライブが“リスクの象徴”のように扱われるのはあまりに乱暴です。
ライブに行ける=無責任ではなく、「文化活動に参加できるほど安定していた」ということでもある。
報道が本当に“安全”を語るなら、「ライブに行くな」ではなく、
「妊娠中でも安心して文化活動に参加できる環境をどう整えるか」を問うべきです。
IFJ(国際ジャーナリスト連盟)Global Charter of Ethics for Journalists (2019) 第9条
“Journalists shall ensure that the dissemination of information or opinion does not contribute to hatred or prejudice…”
(報道が偏見や差別を助長しないよう、最善を尽くさなければならない。)
報道の目的が“排除”ではなく“支援”に変わるとき、ニュースは誰かを責めるものではなく、社会のあり方を照らす力になります。
🤱 報道が守るべきは、母子の安全と尊厳
記事には、「母子ともに健康だった」と明記されています。
それならば、メディアが使うべき力は、“非難”ではなく“支援”に向けるべきではないでしょうか。
たとえば、
「妊娠中でも安心して文化活動に参加できる環境をどう作るか」
「イベント会場に救護・サポート体制を整えるには」
そうした方向にこそ、報道の素晴らしい影響力は活かせるはずです。
IFJ(国際ジャーナリスト連盟)Global Charter of Ethics for Journalists (2019) 第8条
“The journalist will respect privacy. He/she shall respect the dignity of the persons named and/or represented and show particular consideration to inexperienced and vulnerable interviewees.”
(記者はプライバシーを尊重し、報道に登場する人々の尊厳を守らなければならない。経験の浅い、あるいは脆弱な立場の取材対象者には特別な配慮を示すべきである。)
この原則を忘れると、「母親の責任感」だけが強調されて、「社会の配慮不足」が見えなくなります。
⚙️ “責任感”が、アーティストにも転写される構造
さらに見出しには“ミセス”の名前が添えられています。
文法的には関係がなくても、見出しを読んだ読者の頭の中では「開場遅延=ミセスにも責任?」という連想が生まれます。
SmokeOutではこれを「連想転写(Associative Transference)」と呼びます。
言葉を並べる順序だけで、“責任の印象”が別の方向に移ってしまう構造です。
UNESCOの報道教育ハンドブック(Journalism, ‘Fake News’ & Disinformation (2018))
“Headlines should not mislead or assign blame by implication.”
(見出しは、暗示的に非難を与えたり、誤解を招く表現をしてはならない。)
🧠 特定・バッシングを助長しないために
SNSの情報を繋ぎ合わせる報道は、“匿名”のように見えても、実は“探せば分かる匿名”を生みます。
誰かを名指しせずとも、地域・イベント名・時刻・出来事を組み合わせれば、“誰のことか分かる”ようになる。
それは取材ではなく、個人の安全を脅かす構造です。
IFJ(国際ジャーナリスト連盟)Global Charter of Ethics for Journalists (2019) 第3条
“The journalist shall report only in accordance with facts of which he/she knows the origin. He/she will be careful to reproduce faithfully statements and other material that non-public persons publish in social media.”
(記者は、出所を明確に知っている事実に基づいて報道すべきであり、一般人がSNSに投稿した内容を再現する際には、その文脈を忠実に保たねばならない。)
🌱 まとめ:叩くより、支える報道へ
✓ 憶測を“追及”に変えていない?
✓ 個人の選択を“非常識”の枠で裁いていない?
✓ 「責任感」という言葉の向きは、どこに向いている?
妊娠も、音楽も、どちらも“生きる時間”の一部です。
報道の力は、誰かを責めるよりも、支えるために使うものであってほしい。
ミセスも、ファンも、同じ音楽を愛する仲間。
ニュースがそこに「責任感」という言葉を置くなら、その言葉が誰かの痛みに変わらないように。