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「紅白決別宣言」と書く前に —— Snow Man目黒蓮さんは何も“宣言”していない

「紅白決別宣言」と書く前に —— Snow Man目黒蓮さんは何も“宣言”していない

《目黒蓮は2年前に“決別”宣言》Snow Man オファー受けるも『紅白』辞退報道…起用再開もNHKと埋まらぬ“溝”

大晦日恒例の『紅白歌合戦』とSnow Manの関係を、この記事は「決別」「溝」という言葉でドラマチックに描いています。

でも、本文を読んでみると——

目黒蓮さんはどこにも「決別します」とは言っていません。

出てくるのは、配信ライブ告知のインスタストーリーズでの一文。

「9人とみんなで最高の大晦日にしようね! 絶対後悔させないよ 俺らを正解にする」

これを記事は

「“紅白”への“決別宣言”とも取れる発言」

と「解釈」し、タイトルでは《目黒蓮は2年前に“決別”宣言》と言い切りにしています。


🔥 「とも取れる」が、いつの間にか「決別宣言」になっている

まずはいちばんストレートなところから。

本文では、あくまで

「“決別宣言”とも取れる発言」

と書いています。

つまり記者の視点で「そう解釈することもできる」というレベルの話です。

ところが、タイトルでは

《目黒蓮は2年前に“決別”宣言》

と完全に事実としての“宣言”扱いになっています。

これは SmokeOut辞典でいう

  • 「含み断定」
  • 「見出しの飛躍」

のセットプレーです。

国際ジャーナリスト連盟(IFJ)の「ジャーナリスト倫理憲章」は、「事実の尊重と歪曲の禁止(respect for truth and the right of the public to truth)」を記者の第一の義務として掲げ、ニュースと論評を区別し、誤解を招く書き方を避けるよう求めています。

UNESCOの『Journalism, “Fake News” & Disinformation』ハンドブックも、本文と整合しない扇情的な見出しは、読者の信頼を損なう典型的な問題として注意喚起しています。

目黒さんの言葉は、本来

「ファンと最高の大晦日にしたい」

という前向きな約束です。

それを「紅白への決別宣言」と言い切ってしまうと、本人の意図からかなり距離のあるラベリングになってしまいます。


🔎 「喉から手が出るほど」「交渉は決裂」は誰の物語か

記事の中盤には、こんなくだりがあります。

「NHKとして最も出演してほしいのは…Snow Manでした。喉から手が出るほど出演してほしい存在でしたが、交渉は決裂し、この年も同社タレントはゼロとなりました」(音楽関係者)

ここで押さえておきたいのは、

  • 「喉から手が出るほど」
  • 「交渉は決裂」

という表現が、すべて匿名の「音楽関係者」コメントに乗っていることです。

  • NHKが本当にそこまで熱望していたのか
  • 実際にどんな条件で、どんな交渉があったのか
  • 「決裂」と呼べるほどのやり取りが事実としてあったのか

記事からは全く検証できません。

それにもかかわらず、文章の流れとしては

NHKはSnow Manを猛烈に欲しがっていた

しかし交渉は決裂した

→ だから「溝は2年経っても埋まっていない」

という「NHK vs Snow Man」のストーリーが組み上がっていきます。

IFJの倫理憲章は、出所が不確かな情報や確認できない主張に依存した報道を避けるべきだと定めています。

今回の記事では、

  • 誰がそう言っているのか
  • どこまで事実で、どこから推測なのか

がぼやけたまま、読者に 「交渉決裂」という出来事があったかのような印象を与えてしまう点に注意が必要です。


🧱 「NHK vs Snow Man」構図を作る組み立て

記事全体の流れはざっくりこうです。

  1. 旧ジャニーズの性加害問題 → NHKが起用見合わせ
  2. 『紅白』視聴率が史上最低
  3. STARTO社起用の“再開”
  4. Snow Manにオファー → 受けなかった(と報じられている)
  5. 大晦日の配信ライブ
  6. 「溝は2年経っても埋まっていないのかもしれませんね」

この並べ方だとどうしても

「NHKとSnow Manは“決別状態”」

という物語で読むように誘導されます。

  • 視聴率が低かった理由は本当に旧ジャニーズ不在だけなのか?
  • Snow Man側が配信ライブを選んだ理由は他にないのか?
  • STARTO社全体の方針やスケジュールの事情は?

こうした 別の可能性 はほとんど描かれません。

最後を

「起死回生の一手はあるのか――。」

とドラマの予告風に締めることで、「NHKの失点」「Snow Manという切り札」という勝ち負けのフレームも強化されています。

UNESCOのハンドブックは、報道が複雑な出来事を単純な二項対立のストーリーに落とし込みすぎると、読者の理解を歪め、「情報を正しく受け取り考える権利」を損ないうると警告しています。


🧵 ファン目線でのモヤモヤ —— 何がいちばんしんどいのか

ファンとしてこの記事を読んだとき、一番しんどいのは「事実」と「誰かの解釈」がごちゃっと混ざったまま、

“目黒蓮は決別宣言をした人”

という印象だけがスッと頭に残ってしまうことではないでしょうか。

  • 事務所とNHKの問題の影響で出られなかったこと
  • それでも大晦日にファンと過ごせる場を作ろうとしたこと

こうした文脈を知っている人からすると、「決別宣言」という言葉はあまりにも乱暴に思えるかもしれません。

SmokeOutとしては、

  • 「Snow Manを紅白に出すべきだ」
  • 「出ない方が正解だ」

といった立場の話をしたいわけではありません。

ただ、誰かの前向きな言葉が、見出しの中で“決別宣言”に変換されてしまうとき、それはファンにとっても、本人にとっても、そして読者にとってもフェアとは言い難い——

その点だけは、はっきり言っておきたいのです。


📝 おわりに —— 「決別宣言」がなくても、物語は書ける

「決別宣言」という言葉が、どこから生まれて、どう読者に届いてしまうのか、その“書き方の構造”を見ました。

芸能人に関する記事でモヤっとしたとき、「自分が繊細すぎる」のではなく、見出しや構成のどこかが、ちゃんと煙を焚いている可能性があります。

SmokeOutは、その煙の正体に名前をつけるメディアです。

火がないところで「決別」を作られてしまわないように、これからも一緒に書き方を見ていきましょう。

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