「矢口真里、入学式に "ド派手着物" で『メンタル強すぎ』の声…益若つばさも過去に指摘された "芸能人ママ" のマナー」と題する記事が配信されました。長男の小学校入学式に出席した矢口真里さんを取り上げた記事です。
入学式は、子どもと家族にとって一度きりの記念日です。今回SmokeOutが見ていきたいのは、その一日が記事という形でどう取り扱われたか、という一点です。
「ド派手」と書かれているけれど
まず見出しです。「"ド派手着物"」という強い言葉が引用符付きで掲げられ、「『メンタル強すぎ』の声」という評価が並びます。読者が見出しから受け取るのは、入学式のマナーから外れた装いがあったらしい、という印象です。
ところが本文に進むと、装いについて書かれているのは「白を基調としながらも、かなり目立つものだ」という一文だけ。どこがマナーに反するのか、誰がどんな基準で判断しているのかは、最後まで出てきません。「目立つ」と「マナー違反」は、本来まったく別の話のはずです。記事はその二つを重ねたまま進んでいきます。
「声」はどれくらいあったのでしょうか
記事はX上の投稿として、《芸能人のこどもってそれだけで大変だし》《皆さんメンタル強すぎる!じゃなきゃこの世界生きていけないのか?》という二件を引用し、「こうした声が並ぶ」と書きます。
けれど、何件あったのか、いつからいつまでの投稿なのか、矢口さんの投稿への反応全体のなかでどのくらいを占めていたのか——そうした規模の話は、一切出てきません。
これはSmokeOutが何度も触れてきた構造です。具体的な数字を出さずに「声が並ぶ」と書けば、読者は自分の想像でその規模を補ってしまいます。少数の投稿を選んで並べたのか、本当にたくさんの批判が集まっていたのか、記事からは判別できません。「並ぶ」という言葉は、便利すぎる言葉でもあります。
12年前の話が、なぜここに
記事の中盤、話題はすっと2013年の出来事へと移ります。当時の経緯が語られ、男性を隠した場所にちなんで騒動が「"クローゼット不倫"」と呼ばれるようになったこと、その後の離婚と再婚、再婚のお相手のこと——丁寧に並べ直されていきます。
入学式の装いとは論理的につながらないはずの話が、なぜこの位置に置かれているのでしょうか。本人がすでにご自身の言葉で、バラエティ番組などでも語ってこられた過去を、入学式という別の入り口から引き出して、もう一度読者の前に置く。これは分析でも報道でもなく、過去を現在の話題の重しにしている、という言い方が近いように思います。
もう一人の名前まで
後半では、別のタレントの2024年の事例も並べられます。矢口さんの着物との具体的な比較というよりは、「"芸能人ママ" は入学式コーデなどを発信しがち。そのぶんマナーを指摘する声も多い」というふんわりした括りでつながれているだけです。
一つの記事のなかで複数の方の過去の指摘を重ねていく書き方は、それぞれを分析しているというより、「こういう指摘を受ける人たち」という枠そのものを作り出してしまいます。枠に入れられた側は、自分とは関係のない他者の過去まで、自分の話題の周辺に引き寄せられることになります。
写真は、その日のものでしょうか
ここまで触れてきた構造的な問題に加えて、もう一つ、より大きな論点があります。
ご本人の発信では記事に使われている写真は、入学式当日のものではないとのことです。当日、矢口さんはお母様に仕立てていただいた正式な着物を身につけ、入学式のマナーを入念に調べたうえで出席され、髪には一切の飾りを付けていらっしゃらなかったそうです。
もしこの情報が正確であれば、この記事の構造はかなり重い問題を抱えることになります。読者は当日とは別の機会の写真を見ながら、「ド派手」という見出しの言葉を受け取ることになるからです。当日の本人が払った配慮——お母様の手による正式な仕立て、事前に確認されたマナー、意図的に控えた髪——は、記事の枠の外に置かれたまま、読者には届きません。
見出しと写真と本文が、それぞれ別の時点・別の文脈の素材を寄せ集めて一つの印象を作っているとすれば、読者がそこから実際の一日を想像し直すことは、ほぼ不可能です。本人が一日のために積み重ねたものは、記事の構造そのものによって見えなくなってしまいます。
上書きされたもの
入学式は、子どもの新しい一歩を家族で見届ける日です。お母様から受け継いだ着物を選び、所作を確認し、装飾を控える——その選択の一つひとつには、その日を子どもの日として大切にしたい、という意思があったはずです。
記事はその一日を素材として扱いながら、別日の写真、規模の見えない「声」、12年前の出来事、別のタレントの過去の指摘を組み合わせて、まったく別の輪郭を読者に手渡しました。
一日の出来事が、当日とは別の時点の素材によって上書きされうる。記念日の写真を一枚扱うとき、その写真が本当にその日のものであるかという確認は、書き手が読者に対して負う、いちばん最初の責任ではないでしょうか。