距離が近いのは事実。でも…?
Netflix新作『匿名の恋人たち』で韓国女優ハン・ヒョジュさんと共演した小栗旬さん。
映画祭での密着ショットに、記事はこう書きました。
小栗旬、“韓国美人女優”との「イチャイチャ密着ショット」にファン動揺…蒸し返される山田優と石原さとみの“共演NG説”
「小栗さんとヒョジュさんは密着してハートポーズを披露」「お似合いすぎる2人の様子には、動揺する声も」
距離の近さは確かに写真に残っています。
でも問題はここから。記事は“恋”よりも“煽り”に舵を切っていきます。
「既婚者にこの距離感は気持ち悪い」——SNSコメントをそのまま格上げ
記事は引用でこう紹介します。
《かわいいんだけど、既婚者にこの距離感を取る女性は気持ち悪いな》
《小栗旬は4人の子持ちだよ。山田優さん、絶対嫌だろうな》
匿名投稿を“記事の主語”に昇格させ、既婚者イコール“不適切”という空気を生み出しました。
でも SPJ Code of Ethics(Accuracy / Provide context)が求めるのは、コメントを拾うだけでなく「どれくらいの規模で、どう拡散したのか」という文脈提示。
これが抜けた瞬間、“事実”は“空気”にすり替わります。
「共演NG説」の蒸し返し——プアなロジックの代表例
記事は2012年『リッチマン、プアウーマン』の石原さとみさんとの共演まで引っ張り出します。
「一部メディアでは山田さんが小栗さんと石原さんの関係性を疑い…“共演NG説”まで流れていました」
しかし根拠は「一部メディアで報じられた」に留まります。
これは二重の問題です。
- 情報源が不透明(“一部メディア”では誰も特定できない)。
- 「説」と付けて免責しつつ、読者には“事実”に聞こえるようにする。
これは UNESCO Handbook(Avoid exaggeration and misleading frames) が指摘する「誇張的フレーミング」。
記事は“過去の煙”をわざわざ吹き戻している構造です。
——小栗さんの演技はリッチでも、記事のロジックはプアそのもの。
ハートポーズ=家族の危機?——飛躍のストーリー化
記事はこう結びます。
「再び共演女優との距離感が話題になるとは、小栗家にまた嵐が吹き荒れる日も近いのかもしれない」
“距離感が近い”→“動揺の声がある”→“小栗家に嵐”というジャンプ。
これは non sequitur(飛躍の論理) のお手本です。
Ethical Journalism Network(Five Principles)の「公正さ」から見れば、可能性の一つを“予言”のように書くのは読者を誤導します。
ここが読みたい:ロマコメ13年ぶりの挑戦
本来フォーカスすべきはここでしょう。
- 小栗さんが13年ぶりにラブコメに戻ってきた背景
- 国際映画祭で現地語で挨拶したファンサービス
- 共演者との信頼関係が作品にどう作用するか
これを書けば「不倫フラグ」ではなく「俳優の挑戦」として読者を沸かせられたはずです。
見出しリライト:記事が本気で“伝える”なら
- 元:小栗旬、“韓国美人女優”との「イチャイチャ密着ショット」にファン動揺…蒸し返される山田優と石原さとみの“共演NG説”
- 案1:小栗旬、ハン・ヒョジュと国際映画祭に登壇 13年ぶりロマコメで魅せる“新たな挑戦”
- 案2:映画祭でファンサービス全開!小栗旬、現地語挨拶とハートポーズに大歓声
- 案3:小栗旬、13年ぶりロマコメ出演へ 作品と向き合う姿を国際舞台で披露
まとめ:プアなロジックより、リッチな挑戦を
記事が盛り上げたのは「密着ショット」や「共演NG説」。
でも小栗さんが本当に見せたいのは、13年ぶりに挑むラブコメの表情。
憶測で家庭に嵐を呼ぶより、作品を通じて見せる“リッチ”な挑戦を応援したい。
記事のロジックはプアでも、俳優の挑戦はリッチ。その差こそ、読者が受け取るべきメッセージです。
— SmokeOut(憶測の“書き方”を、読み方でほどく)
煙濃度(炎上指数):72%(13/18)
6軸のスコア内訳:
- 表現(断定・煽動)2/3:「イチャイチャ」「嵐が吹き荒れる」など煽り強め
- 構成(順序・ドラマ化)3/3:褒めコメント→批判→“家庭の嵐”と順序で不安を作る
- 語彙(ラベリング・偏見)2/3:「韓国美人女優」「気持ち悪い」などの強語を強調
- 論理(誤謬・飛躍)2/3:「距離感近い→家庭に嵐」への飛躍
- レトリック(感情操作)2/3:疑問符や過去の“共演NG説”を繰り返し強調
- 事実・引用(切り取り)2/3:匿名SNS頼みで裏付けが弱い