9月27日、日本代表の塩貝健人選手と堂安律選手が、練習後の取材に応じました。二人は、ある配信番組の報道を否定しました。森保監督も会見で同じ件に触れました。デイリースポーツは、その様子を記事にしています。
Yahoo!ニュースのトピックスに並んだ見出しは、こうでした。
塩貝健人 堂安との確執報道を否定
元の記事の見出しは、次の通りです。
塩貝健人、堂安律も一部配信番組の確執報道を否定 塩貝は憤り「リスペクトがない」「僕に対しても律君に対しても失礼なことを言っていた」堂安は「こういうことで選手がメディア嫌いになるのはもったいない」
これは、報道を批判する報道です。根拠のない話が流れた、と選手が訴えています。SmokeOutにとって、他人事ではない話です。
だからこそ、今回はこの記事を、SmokeOutがいつも使う物差しで読みます。情報源は明示されているか。相手に反論の機会はあるか。読者は確かめられるか。報道を批判する記事も、同じ物差しで読めるはずです。
この記事の土台は、名前のある三人の言葉
まず、良いところからです。この記事の情報源は、はっきりしています。
日本代表FW塩貝健人、堂安律が前日練習後に取材に応じ、一部配信番組がW杯期間中の出来事についての報道に言及した。
誰が、いつ、どの場で語ったか。すべて書かれています。監督についても「会見終了間際に自ら切り出し」と、発言の状況が示されています。匿名の「関係者」は一人も出てきません。
塩貝選手の言葉です。
「出てたですけど、リスペクトがないなと思いました。確かなエビデンスもないのに、僕に対しても失礼なことを言っていたし、律君に対しても。外部からなかったことを言われるのは本当に。僕と律君は今も全然普通に話しますし、すごい僕もリスペクトしている」
堂安選手の言葉も、長く引用されています。
「もったいないなと。一部の人がこういうことで選手が話したくない、メディア嫌いになるのはもったいないなと思う。今回はたまたま俺の件やったんですけど、日本としてもっとうまく付き合っていけたらと思いました。僕らも人間なんで、機械じゃないし、感情的になるし、その感情がまたみんな書くことが面白くなると思うので、そういう感情は必要じゃないですか。その感情を聞きたいと思って、みんなが記事にしてくれている。だからこそ違う事言われると、という選手は多いと思います」
三人の言葉が、削られずに載っています。読者は、選手が何を否定し、何を求めたかを、本人の言葉で読めます。ここは、この記事の確かな部分です。
「一部配信番組」——名前のない相手に、反論の機会はあったか
一方で、批判された側は、記事の中でこう呼ばれます。
同配信番組では出演したジャーナリストが練習中に堂安が塩貝に対して、怒り、威圧的な言葉を掛けたと明かしていた。
番組の名前も、ジャーナリストの名前も、書かれていません。「一部配信番組」「出演したジャーナリスト」だけです。
名前を出さないのは、配慮かもしれません。名指しすれば、その番組への攻撃を呼ぶ。そう考えた可能性はあります。ただ、読者の側から見ると、二つのことができなくなります。
- 元の配信で、実際に何がどう語られたかを確かめること。
- 配信側に言い分があるかを知ること。
記事には、配信側にコメントを求めた記述がありません。SmokeOutの物差しでは、これは一方的視点にあたります。批判される側に取材し、反論を載せているか。その記述がないのです。
皮肉な構図です。「確かなエビデンスもないのに」と批判された報道。それを伝える記事が、読者には確かめられない形になっています。記事の言い分が正しいかどうかとは別に、確かめる道が閉じている。ここに、薄い煙が立ちます。
「なかったこと」と「建設的なやりとりはありました」の間
もう一つ、注意して読みたい箇所があります。監督の言葉です。
個人練習の時に2人がいわゆるヒートアップして、堂安律が塩貝に対してかなり強めなことを言ったとされていて、配信の中でも本人は見てなくて、人から聞いたということで配信をされています。実際、我々が練習をするときには選手同士がぶつかりあうっていうことはあります。その時に建設的なやりとりはありましたが、どちらを威圧して汚い言葉を使ってということはないですし、そういうところは控えていただきたいなと思っています。
ここには、二つの情報があります。一つは、元の配信が「本人は見てなくて、人から聞いた」話だったという指摘。伝聞だった、ということです。これは監督の主張であり、記事が配信を直接確かめたとは書かれていません。
もう一つは、「建設的なやりとりはありました」という言葉です。何もなかったのではない。やりとりはあった。ただ、威圧や汚い言葉ではなかった。監督の説明は、そう読めます。
塩貝選手は「なかったことを言われる」と語りました。監督は「やりとりはあった」と語りました。二人の言葉は矛盾しません。出来事の有無ではなく、その性質が争点だからです。
しかし見出しは「確執報道を否定」です。「否定」の一語は、この濃淡を消します。読者は「何もなかった」と受け取ります。本文を読むと、実際はもう少し細かい話です。見出しと本文の間に、小さな段差があります。
「確執」という言葉も、記事側のラベルです。本文が伝える元の報道は、練習中の一場面での言葉の話でした。それを「確執」と呼ぶかどうかは、記事の判断です。
SmokeOut視点:報道を批判する報道も、同じ物差しで
選手たちの訴えは、SmokeOutが日々書いていることと重なります。根拠を示すこと。本人に確かめること。伝聞を事実のように語らないこと。堂安選手は「感情を聞きたいと思って、みんなが記事にしてくれている」と語りました。メディアへの信頼を前提にした言葉です。
だからこそ、その訴えを伝える記事にも、同じ物差しを当てたい。選手の言葉は確かめられる形で載っている。一方、批判された側の名前と言い分は載っていない。この非対称が、記事の煙です。
読者にできることは、本人の言葉と記事のラベルを分けて読むことです。「否定」「確執」は記事の言葉。「なかったこと」「建設的なやりとりはありました」は本人たちの言葉。後者を読めば、出来事の輪郭は自分で描けます。
まとめ:批判する側の記事にも、同じ問いを
- ✓ 批判された報道は、記事の中で確かめられる形で示されていますか?
- ✓ 批判された側に、反論の機会が与えられた記述はありますか?
- ✓ 「否定」「確執」は本人の言葉ですか、記事の言葉ですか?
本人の言葉が長く載った、確かめやすい記事です。煙は薄く、名前のない相手の周りにだけ漂っています。報道を批判する記事も、同じ物差しで読む。その習慣が、どちらの側の煙も見分ける力になります。選手たちの言葉は、本文でそのまま読めます。まずはそこから確かめてみませんか。