SmokeOut
俳優
更新: 2025/10/4

「松潤、現在も健在」——なのに記事は“ビミョー”と診断したがるのはなぜ?

「松潤、現在も健在」——なのに記事は“ビミョー”と診断したがるのはなぜ?

📰 元記事の見出し

松本潤「19番目のカルテ」の評価で浮き彫りに…「嵐」解散後のビミョーすぎる立ち位置
(日刊ゲンダイDIGITAL、2025年7月28日)


🧊 この記事、診断が甘くない?

嵐の松本潤さんが主演するドラマ「19番目のカルテ」。
記事はその視聴率や反応を取り上げながら、最後にはこうまとめていました。

「“嵐の松潤”が“ただの松潤”になって、どうなるんですかねえ」

…いや、ドラマのレビューだったはずが、最終診断は「立ち位置ビミョー」?
カルテより早とちりな診断書を出してませんか。


🧨 「ビミョー」って診断コードある?

見出しから強烈に出てくるのは「ビミョー」というレッテル。
でも、数字の根拠や比較対象はほぼ示されていません。

これは ラベリング効果(Labeling Effect)曖昧化(Vagueness) の合わせ技。
記事を読んだ人は「ビミョー」という印象だけを受け取り、実際のデータは頭に残らない。

記事がやっているのは、豊かな挑戦を「ビミョー」で片付けてしまう行為です。


🪜 「解散後」→「俳優業」→「立ち位置ビミョー」?

記事の論理展開はこうです:

A. 嵐は解散した
B. 松潤は俳優業に挑戦
C. ドラマ評価が芳しくない(※記事の主観)
D. よって「立ち位置がビミョー」

これは典型的な 早計な一般化(Hasty Generalization)
一つの作品や一時的な数字を、その人の「立ち位置」へと飛躍させるのは筋が通りません。

冷静に考えれば、「一作品の視聴率 ≠ 人生の診断」なのは明らかですよね。


🔖 「ただの松潤」って、誰が診断した?

本文では「ただの松潤」というフレーズも登場。
これは 人格の矮小化(Essentializing) です。

「嵐じゃない松潤=ただの松潤」という図式にすれば、読者の頭に「格落ち感」が刷り込まれる。
でも、実際には新しい挑戦の真っ最中。
記事はそのプロセスを診断するどころか、症状名を先に決めてしまったようです。

UDHR(世界人権宣言)第1条
“すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である。”

芸能人だって、診断名を勝手につけられる筋合いはありません。


🪄 タイトル改善案

元タイトル:
松本潤「19番目のカルテ」の評価で浮き彫りに…「嵐」解散後のビミョーすぎる立ち位置

改善案:

  1. 「嵐解散後も挑戦を続ける松潤の姿」
  2. 「俳優・松本潤、新しい役どころで存在感」
  3. 「解散後も変わらぬ人気と期待」

👉せっかく記事を書くなら挑戦を続ける松潤の背中を押してみれば?


🧯 最後に:カルテに必要なのは“診断”より“経過観察”

記事が「立ち位置ビミョー」と断じる一方で、現実は挑戦と模索の途中。
本来カルテに書くべきは「経過観察」でしょう。

読者が本当に知りたいのは「今後どう変化していくのか」。
でも記事が渡してきたのは「とりあえずビミョー」という診断書。

——それ、芸能医療事故じゃありませんか?

私たちSmokeOutは、「火のないところに立つ煙」を可視化します。
今回の煙は「嵐解散後=格落ち」という安易な診断の中にありました。


🖋️ ——SmokeOut
“憶測の書き方”を、読み方でほどくために。

この記事は役に立ちましたか?

記事を読み終えた感想を教えてください

SmokeOut について

火のないところに立つ「煙」を晴らす。私たちは憶測・煽り記事の事実認定ではなく、 伝え方=表現・文脈・論理の運びを可視化するメディア分析プラットフォームです。

関連する分析記事

同じカテゴリの記事や関連する表現分析