「恥ずかしいなんて全然ない」荻野目洋子 ブチギレ反論!駅弁の”ホーム立ち売り”述懐に「年バレちゃうよ」指摘受け
「ブチギレ反論」、かなり強い言葉です。本文を読み、ご本人の実際の投稿と照らし合わせると、この表現、本当に合ってる?と思わされます。
何が起きた?
- 荻野目洋子さんが、峠の釜めしを「昔はホーム立ち売りで購入した」と懐かしむ投稿をXに投稿。
- あるユーザーが「年バレちゃうよ」と引用リポスト。
- 荻野目さんは「バレたら恥ずかしいなんて全然ないです」「マイ・ペースで今後も暮らすのであります!」と返答。
- 記事はこれを「ブチギレ反論」と表現。
- しかしご本人は後日、「荻野目洋子はブチ切れていません」と明確に否定しています。
「ブチギレ」は記事が作っている
まず、荻野目さんの実際の投稿を見てみましょう。
《バレたら恥ずかしいなんて全然ないです。貴重な思い出に誇りを持っているから。》
《年齢については、逆に日本は必要以上に記載が多くて不思議だな、と思う。感性は人それぞれ、同じ年数生きても皆違うのは当たり前だから、比べる事に違和感を感じてしまいます。煽って煽られて、振り回して欲しくない。》
《マイ・ペースで今後も暮らすのであります!》
これのどこが「ブチギレ」なのでしょうか。
むしろ冷静かつ丁寧に、自分の考えを述べています。感嘆符は「マイ・ペースで今後も暮らすのであります!」の一箇所のみで、これも怒りというより宣言のニュアンスです。
「芸能ジャーナリスト」が解釈を補強する歪な構造
記事後半にはこうあります。
荻野目の投稿には相当な怒りが籠っていると見るのは芸能ジャーナリストだ。
「“ブチギレ”と言っても過言ではないほど強い語気だと思います。要するに平和に過去を懐かしんでいたら、突然冷や水を浴びせられたようなものですからね。普段から年齢のことをイジられるなど、溜まっていた怒りが一気に出てきたのではないでしょうか」
記事が「ブチギレ」とラベルを貼り、匿名の「専門家」がそれを追認する。 おなじみの構造です。
しかも「溜まっていた怒りが一気に出てきたのではないでしょうか」という推測まで添えている。荻野目さんの内面を、ご本人に確認せず、外から決めつけています。
本人が明示した文脈を無視している
荻野目さんは元の投稿でこう書いています。
《頂いたコメントの方に対してではなく、それを元に世の中について考えるのが、Xでの自分なりの表現です。》
特定のユーザーに怒っているわけではないと本人が明言しています。
「世の中について考える」という内省的な行為を、記事は「ブチギレ反論」と翻訳している。これは明らかに意図的な読み替えです。
ご本人の反論:「荻野目洋子はブチ切れていません」
記事公開後、荻野目さん本人がXで反論しています。これが決定的です。
自分の書いた言葉を、その日だけサッと小石を拾うかのようにして勝手に大袈裟に固め、芸能ジャーナリストが私について語ったと書いてありましたが。その方と私は会ってませんし、
— 荻野目洋子 (@oginome_info) January 13, 2026
荻野目洋子はブチ切れていません。
本人が言うので間違いありません。…
自分の書いた言葉を、その日だけサッと小石を拾うかのようにして勝手に大袈裟に固め、芸能ジャーナリストが私について語ったと書いてありましたが。その方と私は会ってませんし、
荻野目洋子はブチ切れていません。本人が言うので間違いありません。
目で見ただけのXの投稿を、そこに至るまでの経緯も知らずに「捻じ曲げて」伝えるのはどうなんだろう?
(中略)
感情的になってないのに「ブチ切れ」という表現を使うには、あまりにも稚拙ではないのかな?
さらに、この反論自体のトーンにも注目してください。
…これも私の意見です。怒っておりません。意見は普通に述べさせてください。お願いします。以上になります。
意見を述べられている最中ですら「怒っていない」と明言している。
これが荻野目さんの一貫したスタンスで、記事の「ブチギレ」という表現がどれだけズレているかがわかります。
「年齢イジり」への誘導
また、記事は後半で「芸能ジャーナリスト」にこう語らせています。
“年齢イジり”はあくまで笑いにできる間柄で行うことが前提でしょう。見知らぬネットユーザーがやるのはあまりにも危険ですね
一見もっともらしい意見ですが、これは元の投稿者を「加害者」、荻野目さんを「被害者」として固定するフレーミングです。
でも荻野目さん本人は、元の投稿者に対して怒っていないと明言しています。
《頂いたコメントの方に対してではなく》
記事が勝手に「被害構造」を作り、それに基づいて論評している。これも本人の意図を無視した読み替えです。
じゃあ、どう書けばいい?
見出しの改善案(SmokeOut案):
荻野目洋子、「年バレ」指摘に持論——「貴重な思い出に誇りを持っている」
本文の改善:
- 荻野目さんの投稿を文脈ごと引用する
- 「反論」ではなく「持論を展開」「考えを述べた」などの中立的表現を使う
- 本人が「特定のユーザーに対してではない」と書いている部分を省略しない
- 匿名コメントで感情を決めつけない
これだけで、「芸能人がキレた」という消費型の記事ではなく、「年齢観についての一つの意見表明」という記事になります。
まとめ
荻野目さんご本人がこう書いています。
大切な思い出の話から始まって、別に古い話をしたっていいでしょ、いちいち歳とったと言われたって私は構いませんよ。と、ゴシップネタにも引っかからない話を自分のスペースで話しているだけなんですから。荒らして帰っていくのはただの品のない泥棒じゃないですか。
「品のない泥棒」という表現は強いですが、これは怒りではなく、起きたことへの正確な描写です。
穏やかに思い出を語り、穏やかに持論を述べた投稿が、「ブチギレ反論」として切り取られ、消費される。
ご本人が「捻じ曲げ」と呼んだこの構造こそ、今回の記事の問題点です。
そして最後に、荻野目さんはこう締めています。
ゴシップネタを作る人にもあまり良い印象はないですけど、その方達だって寒い中で一生懸命ネタ探しに命かけてるかもしれないんだし。
批判の最中にも相手への想像力を忘れない。 これが「ブチギレ」と呼ばれた人の、実際の言葉です。
思い返せば、元の投稿はただ「峠の釜めしが美味しかった」「昔はホームで買えたんですよ」という、穏やかな思い出話でした。
それが「年バレ」という茶化しを経由し、「ブチギレ反論」という見出しに変換され、「芸能人の怒り」として消費される。この過程で、荻野目さんが本当に伝えたかったこと=貴重な思い出に誇りを持っているという、ただそれだけのことは、どこかに消えてしまいました。
「ブチギレ」という言葉は刺激的で、クリックを集めやすい。でもその刺激のために、誰かの穏やかな言葉が書き換えられているとしたら、それは本当に「伝える」という仕事なのでしょうか。
荻野目さんは「荒らして帰っていくのはただの品のない泥棒」と書きました。奪われたのは、「峠の釜めし、美味しかったな」とただ懐かしむ時間です。