💭 「消えた」「心配される」「視野に入れている」——確定していない三段活用
10月22日配信のある記事では、こう書かれていました。
「新垣結衣(37)が定番CMから次々と姿を消して、ファンからは嘆きの声が漏れている」
「徐々にフェードアウトし、“完全引退”を視野に入れているのではないかと業界内でささやかれています」
新垣結衣「メルティーキッス」「アロマリッチ」「エスプリーク」"長寿CM"から消え心配される"完全引退"
この“ささやかれています”という表現。
ジャーナリズムにおいてはもっとも危うい構文です。
なぜなら、情報の出どころが存在しないまま、「誰かが言っている」を装うから。
この構文が繰り返されると、読者は「みんながそう思っている」という共通認識の錯覚を持ちます。
SmokeOutではこれを 「Consensus Illusion(共感の錯覚)」 と呼びます。
🔎 事実を積み重ねず、憶測を積み木のように重ねる構造
記事全体を分解すると、次のようになります。
区分 | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
事実 | CMが交代した(メルティーキッス、アロマリッチ、エスプリーク) | 公式発表あり |
推測 | 「女優業をセーブしている」 | 記者の憶測 |
更なる推測 | 「CM減=完全引退の可能性」 | 記者の意見 |
情報の再利用 | 「別居説」「妊娠説」「体調不良」 | 過去の週刊誌記事 |
つまり、事実の上に憶測を積み重ね、その上に過去の憶測を再利用して補強している構造。
この手法はSmokeOutでは「積層型推論(Layered Speculation)」と呼んでいます。
🎭 「心配の声」を使って煽るレトリック
「ファンからは嘆きの声が漏れている」
「心配は尽きない」
この“ファンの声”も具体的な引用は一切なし。
数件のSNS投稿を根拠に「ファン代表の声」として提示するのは、どうでしょう。
UNESCOの報道倫理ガイドライン(2023年改訂)ではこう述べられています:
「報道は限られたオンライン反応を一般的な世論として扱ってはならない」
(UNESCO, Guidelines for the Governance of Digital Platforms, 2023, p. 54)
数名の投稿が、なぜ“世間の心配”になるのか。
それは、物語として都合がいいからです。
🌊 一社の煙が、メディア全体の「空気」になるとき
今回の「ガッキー引退」報道は、単独の記事にとどまりません。
むしろ、複数のメディアが同じ構成・語彙・時期で記事を出すことで、“空気のような物語”が作られているのです。
10月のニュースを見渡すと——
- 「ガッキー」Xトレンド入り 「ショックすぎ」「ガチ泣きした」結婚4年半の今...騒然のワケ
- 新垣結衣、「メルティーキッス」CM交代で「引退しないよね?」心配の声続出…露出激減、主演ドラマは7年前の“休止状態”
- 新垣結衣、相次ぐCM“卒業”と夫・星野源の「うんざりでした」発言でファンがやきもきする“夫婦で隠居”説
どれも別々の記事ですが、読者の中では一本のストーリーとしてつながります。
「複数のメディアが書いている=きっと何かある」——
この錯覚こそが、SmokeOutでいう「分散型メタ物語効果(Distributed Meta-Narrative Effect)」です。
ちなみに、これらの記事も分析しています。
一つひとつは小さな“煙”でも、複数のメディアが火をつけ合えば、それは“空気のような引退ムード”に見えてしまうのです。
📺 「明治」「コーセー」など、事実ベースではむしろ健全
記事の中にはこうした一文もあります。
「明治の場合、新垣さんは今年5月に新商品『生のとき』の広告キャラクターに就任していますから、メーカーとの契約が終わったわけではないでしょう」
つまり、“降板”と“契約継続”が同時に存在している。
にもかかわらず、タイトルでは「心配される完全引退」と断定に近い形を取っている。
SmokeOutで繰り返し指摘しているように、本文で不確定と書いていても、見出しで確定させる構造こそ最大の煽りです。
🌱 まとめ:沈黙は、ニュースの素材じゃない
本人が語っていないのに、「引退か」と語る。
契約が続いているのに、「姿を消した」と書く。
これは、事実ではなく“物語の都合”です。
ガッキーのニュースが増えれば増えるほど、彼女自身の声はどんどん遠ざかっていく。
沈黙に意味を与えるのではなく、沈黙をそのまま尊重する。
それが、報道の最低限の誠実さではないでしょうか。
SmokeOutは、火のないところに立つ煙を、今日も静かに晴らします。