「物申す?」って誰が言った? 見出しが勝手に盛ってない?
スポニチの記事はこう伝えました。
本文ではさらに、
「苦言?を呈した」「物申しつつ、心境を吐露」
と繰り返し、あたかも“批判的”に映る構図をつくっています。
柏原竜二の本音は “寝不足ボヤき”より “織田裕二リスペクト”
しかし、本人の投稿を見ればニュアンスはまったく違います。
- 「織田さん…初日にあなた言いましたよね?“日本開催だから時差がない”って…毎夜毎夜興奮して寝れなくなるのよ」
- 「やっぱり世界陸上は織田裕二なのよ。我々を代弁してくれる」
ここにはユーモアだけでなく、“熱を代弁してくれる存在へのリスペクトと感謝”が込められています。
さらに柏原さん自身が、Xでこう強く訴えています。
「スポニチさんはくだらないこと記事にしないで、選手の頑張りを記事にしてください。切実なるお願いです。選手の頑張りを記事にしなさいよ!!!!」
本人が「くだらない」と断言している時点で、記事の構造的な歪みは明白です。
国際基準でジャッジ 「苦言」に変換するのはレッドカード級⚽️
- IPSO Editors’ Code of Practice, Clause 1: Accuracy
→ ユーモアとリスペクトを「苦言」と断定するのは正確性に欠けます。
- UNESCO Fundamental Principles
→ 報道は社会的結束を促すべきなのに、対立構図を強調するのは逆行です。
- IFJ Global Charter of Ethics for Journalists
→ 煽情的語彙(物申す/苦言/吐露)の濫用は、憶測・感情煽動の回避義務に反します。
疑問符ひとつで“批判風味”に🍜
- 論理的誤謬
- non sequitur(飛躍):ユーモア+リスペクト → 苦言と断定。
- 虚偽の二分法:ユーモアか批判か、という二択に押し込む。
- レトリック技法
- 疑問形レトリック:「物申す?」で批判を匂わせる。
- 感情語の誇張:「吐露」「苦言」でドラマ性を上乗せ。
これらが、読者に「柏原 vs 織田」という虚構の対立を錯覚させてしまいます。
リライト選手権:記事が本気で伝えるならこうなる✍️
元タイトル
「山の神」柏原竜二氏 世界陸上・織田裕二に物申す?「あなた言いましたよね?」心境吐露
変更タイトル
- 「柏原竜二さん、織田裕二さんに“寝不足アピール” 世界陸上を楽しむ声」
- 「柏原竜二さん、『やっぱり世界陸上は織田裕二』とリスペクト投稿」
記事化するなら、“リスペクト”と“楽しさ”をそのまま伝えるべきでした。
分断より“応援”にテクニックを
柏原さんの投稿は「苦言」ではなく「リスペクト」。
記事が「物申す」「心境吐露」と変換した結果、本人から「くだらない」と突き返されました。
けれど本来、メディアには大きな力があります。
選手の努力を正面から伝え、観客の心を動かし、競技を盛り上げる。
そのための言葉選び・構成・レトリックを誰よりも知っているのは、メディア自身です。
だからこそ、対立をあおる小技ではなく、アスリートの輝きを引き出す大技にその力を使ってほしい。
世界陸上をさらに熱くする記事を、私たちは待っています🔥