「もう、どうでもよい」って光一さんが言ったみたいに見えるのは…さすがに違うでしょ。
記事タイトルはこうでした。
「もう、どうでもよい」堂本光一 “10年愛”女優の事務所退所にファン悲鳴…囁かれる結婚の“本気度”
でもこの「もう、どうでもよい」という言葉は、堂本光一さん本人の発言ではありません。
SNSに投稿された光一さんファンの一部コメントをそのまま切り取ったものです。
それをタイトルに据えることで、まるでご本人が言ったかのように読めてしまう。
これは読者を誤認させる見出しの典型で、IPSO Editors’ Code of Practice が求める「見出しと本文の正確な整合性」に反しています。
退所を「引退」に膨らませる書き方
佐藤めぐみさんに対して、記事本文にはこうありました。
今回の事務所退所をもって芸能界引退とも受け取れる文面
けれど佐藤めぐみさん自身は、Instagramでこう書いています。
これから先も、多くの方々の支えに感謝して、自分のペースで一歩ずつ歩んでいきたいと思います
「引退」という言葉はどこにもありません。
それを「引退とも受け取れる」と膨らませてしまうのは、読者に誤解を与える表現。
これは SPJ Code of Ethics が定める「正確性の確保」にも反します。
退所=結婚? 直線で結びすぎ
さらに記事はこう続きます。
その“次”として囁かれているのが、過去に熱愛が報じられた堂本光一さんとの関係だ
しかし、ここには新しい事実も本人の言及もありません。
根拠は2年前の報道と「匂わせ疑惑」とされたエピソードだけ。
「退所=結婚の本気度」と直線でつなげるのは、論理的な飛躍です。
報道は「根拠に基づいた説明」が基本であり、それは Ethical Journalism Network – 5 Principles of Journalism でも強調されています。
「ファン悲鳴」というひとくくり
記事に登場するのはこんな投稿です。
《正式に結婚発表されたら、ファンクラブ更新しない》
《さぁて、私も 光一さんの応援はこれで おしまいにするしかなくなるのか》
《もう、どうでもよい》
確かに戸惑いやショックの気持ちが表れています。
でも、それを「ファン悲鳴」と総称するのは大げさすぎます。
IFJ Global Charter of Ethics も「誇張的で感情をあおる言葉は避けるべき」と定めています。
ファンの気持ちはもっと多様です。
「動揺したけど応援は続けたい」という声もきっとあるはず。
その幅広さを示さず、強い言葉だけを“代表”にするのは不誠実です。
見出しをリライトするとこうなる
- 元: 《「もう、どうでもよい」堂本光一 “10年愛”女優の事務所退所にファン悲鳴…囁かれる結婚の“本気度”》
- 案:佐藤めぐみさん、所属事務所を退所と発表
これで十分なのでは?
モヤモヤを晴らすなら
この記事が描いたのは「退所=結婚=ファン悲鳴」という一直線の物語。
でも実際は、本人の言葉もファンの声も、そんなに単純ではありません。
堂本光一さんを応援しているファンの気持ちは、「悲鳴」や「どうでもよい」だけに回収されるものではない。
揺れる気持ちも、支え続けたい気持ちも、全部ファンのリアルな声です。
だから、見出しを読んでモヤモヤしたら思い出してください。
——これは「光一さん本人の言葉」ではなく、「ファンの一言を記事が強調しただけ」。
その事実に気づくだけで、少しスッキリしませんか。
— SmokeOut(憶測の“書き方”を、読み方でほどく)