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横山裕さんの気持ちは、本人にしか分からない――想像と事実の境界線

横山裕さんの気持ちは、本人にしか分からない――想像と事実の境界線

🎙️ 記事が描いた“ドラマ”

草間リチャード敬太さんのニュースが世間を賑わせています。様々なニュースや投稿を読むたび、胸がモヤモヤしているファンの方も多いと思います。そんな中で、関係の深い“横山さんはどう思っているんだろう”と考えてしまうのは自然なことです。

でも、その”想像”が一人歩きしてしまうと、誰かを傷つけることもあります。今回の報道を例に、少しだけ立ち止まって考えてみませんか?

草間リチャード敬太容疑者が裏切った“恩人”横山裕 退所を引き留めた過去も…ファンが心配寄せる胸の内

この記事では、横山裕さんと草間リチャード敬太さんとの関係を「恩人と裏切り」という構図で描いていました。

「この不祥事が横山にとって大きな痛手となるのは、Aぇ! groupとの深い関係があるからだという。」

過去のエピソードを交えながら、

「横山さんは草間容疑者の逮捕に誰よりも心を痛めているのではないでしょうか」

「横山の落胆は計り知れないだろう」

といった表現が続きます。

読者の心を動かす文章ではありますが、

それは“事実”というよりあくまで“想像”に近いものです。


💭 “心情を代弁する”という書き方

本人が何も語っていない段階で、

「痛手」「落胆」「心を痛めている」といった感情を決めつけるのは、

読み手に“こう感じるべき”という印象を与えてしまいます。

UNESCOの報道ガイドライン では、

「人物の感情や意図を推測して断定的に描写することは誤情報の原因になる」と示されています。

また、IFJ(国際ジャーナリスト連盟)倫理憲章 は、

「記者は憶測を事実として扱ってはならない」と定めています。

“横山さんの落胆”という一文があるだけで、

読者の心は“悲劇の物語”の方向に誘導されてしまいます。


🧩 “物語化”と“ファン感情”の扱い

この記事では、SNS上の投稿もいくつか紹介されていました。

「リチャやAぇ! groupのフォローをしてあげて欲しい」

「横山くんの顔に泥を塗っちゃ駄目でしょ?」

SNSでは、こうした声が目立ちやすくなります。

どれも本心からの言葉だと思いますが、それが『ファン全体の総意』として扱われて、

それを「ファンが心配寄せる胸の内」とまとめてしまうと、

数件の投稿が“ファン全体の声”のように見えて、見えなくなる声もあるかもしれません。

IPSO Editors’ Code(Clause 1) でも、

「見出しや要約は本文で裏づけられる必要がある」とされています。

SNSの声を紹介する際も、件数や範囲を明示しなければ誤解を生みます。


ファンの皆さんへ

事件の報道に触れるとき、心がざわつくのは自然なことです。

けれど、今は少しだけ立ち止まって、

「本人の言葉を待つ」という選択をしてみませんか。

UDHR(世界人権宣言)第19条 は、

「表現の自由は責任とともにある」と述べています。

その「責任」には、『まだ語られていない言葉を、静かに待つ』ことも含まれています。

誰かの気持ちを想像することは優しさですが、それを事実として扱わないこと——その線引きが、今は大切なのかもしれません。


🤝 まとめ:語らない誠実さを大切に

横山裕さんの思いは、本人にしか分かりません。

「恩人を裏切った」「痛手を受けた」といった表現の前に、

まずは事実を確認し、言葉の余白を残すことが大切です。

ファンの皆さんの中には、すでに冷静に見守っている方も多いはずです。

情報が溢れる中で、何が事実で何が想像なのかを見極める——それは簡単なことではありませんが、その姿勢こそが誠実さ(Integrity)につながると思います。

読んで辛くなるニュースがたくさんあって、心がすり減ってしまうかもしれません。

でも、読む側にできる”優しさ”とは、誰かの心を勝手に完成させないこと。

SmokeOutは、その一助になりたいです。

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