サマリー
- 表向きのテーマは『SHOGUN』出演によるスケジュール調整と映画プロモへの影響
- しかし構造としては「殿様化」「将軍様」「もう使いたくない」といったラベリングで、Snow Man目黒蓮さんを“わがままスター”の物語に根拠なく押し込めています。
- 浜辺美波さんの「忙しいんだろうなと思っていたけど」というコメントも、事情を知る関係者には皮肉に聞こえたという謎の“解釈”で上書きされ、とばっちりを食らっています。
何の話かを一度整理する
本来、このニュースが扱うべき「核」はとてもシンプルです。
- 目黒蓮さん、『SHOGUN』シーズン2に出演決定
- 条件:年明け〜11月ごろまでカナダで長期撮影、「撮影に専念」が前提
- その結果、日本公開の主演映画2本のプロモーションスケジュールに影響
- 調整の過程で、関係各所に負荷や混乱もあった「らしい」
ここまでは、
「グローバル作品との掛け持ちが日本の映画プロモーションの現場にどう影響するか」
という構造の問題として、落ち着いて議論できるテーマのはずです。
ところが記事は、ここから一気に「人物ドラマ」に寄せていきます。
- 見出しでいきなり「殿様化」、「将軍様」、「悲鳴の声」
- 本文でも「秀吉ばりの出世欲」、「もうあの将軍様は使いたくない」
と、“欲深い殿様キャラ”としての謎のキャラクターを作っていきます。
モヤモヤ①:別々の問題を“一人の性格”にくくりつける構図
記事の流れをざっくり分解すると、こんな構図になっています。
- 『SHOGUN』オーディションの条件は「撮影に専念できる人」
- 多くの俳優は既存の仕事との兼ね合いで断念
- 目黒さんは参加を決断し、役を射止める
- その結果、映画のプロモーション計画が大きく組み直しに
- 制作側・配給側に負荷 → 「悲鳴の声」
- 結論:「殿様化が止まらない」「もう将軍様は使いたくない」
本来ここには、少なくとも三つのレイヤーがあります。
- ハリウッド側の条件設定の問題(契約とスケジュール設計)
- 日本側の映画プロモーション設計の問題(依存度・代替可能性)
- 事務所・本人の意思決定と調整の仕方
ところが記事は、それらをきちんと分けて説明せず、
「オーディションに“秀吉ばりの出世欲”」
「結果として、周囲を振り回す殿様」
という一人の“性格”の物語に収束させています。構造の話をせずに、全部を「人となり」に回収してしまう。
これが、SmokeOut的には論理リスク+構成リスク高めと見えるポイントです。
モヤモヤ②:浜辺美波さんまで「皮肉キャラ」にされてしまう
記事タイトルにも出てくる「浜辺美波も“皮肉めいた発言”を…」という一文。
本文にある元の発言はこれです。
「忙しいんだろうなと思っていたけど、思ってた50倍は忙しい」
これだけ見れば、普通に共演者へのリスペクトも含んだ「本当に忙しかったんだなあ」という感想くらいのニュアンスに読めます。
ところが記事は、ここにわざわざ
「事情を知る関係者からすると、皮肉にも聞こえましたけどね(笑)」
と、「皮肉だったことにしてしまう一文」を足します。
- 「事情を知る関係者」が誰かは不明
- 本当に浜辺さんが皮肉として言ったのかも不明
- でも、見出しでは「皮肉めいた発言」と既成事実化
結果として、
目黒さん:殿様キャラ
浜辺さん:それを薄く皮肉る同業者
という“対立する二人”の図が、できてしまいます。
浜辺さんからすると、普通に共演者を立てた一言が「皮肉キャラ」の材料にされ、しかもタイトルにまで使われる
——これは、かなり理不尽なとばっちりです。
モヤモヤ③:“将軍様”ラベリングと匿名「関係者」の合わせ技
この記事のレトリック上の「決め台詞」は、おそらくここです。
「もうあの将軍様は使いたくない」
出どころは、匿名の「制作現場」「映画関係者」たち。
- 誰が
- どの作品で
- どのポジションから
- どれくらいの本気度で言っているのか
が分からないまま、
「現場からはこんな声も上がっている」
という形で引用されます。
もちろん、現場から本当にそういう不満が出ている可能性はあります。ただ、
- どこまでが本音で
- どこからが愚痴で
- どれくらい一般的な声なのか
が一切分からない状態で、
「将軍様」「殿様化」
といったラベルを重ねていくのは、どうなんでしょう。
匿名の「関係者の一言」を
- 「現場の総意」
- 「映画界全体の空気」
のように見せるのは、芸能記事ではよくある手法ですが、なぜ許されているのでしょう。
「挑戦」を茶化す前に見えてほしいもの
もうひとつ、この記事でいちばん引っかかるのは、目黒蓮さんの“世界への挑戦”そのものが、ほとんどリスペクトなく扱われているという点です。
『SHOGUN』シーズン2への出演は、
- すでに世界的評価を受けた作品への参加
- 撮影期間ほぼ一年、国内仕事を大きく制限するハードな条件
- そのうえで、日本での主演映画との両立に挑もうとした決断
という、普通に考えても相当に大きなチャレンジです。
ところが記事は、その重さをきちんと説明する前に、
「秀吉ばりの出世欲」
「殿様化が止まらない」
「もうあの将軍様は使いたくない」
といった言葉で、挑戦そのものを“欲深いスターのワガママ”のように見せてしまう。
本来なら、
- なぜこれほど厳しい条件が付くのか
- それでも日本から手を挙げる俳優がいる意味は何か
- 国内作品側とどうすれば衝突を減らせるのか
——こうした「構造」の話をする余地があったはずです。
それを丸ごと飛ばして、「世界作品に出ようとしている俳優」ではなく「現場を振り回す殿様」として描いてしまうところに、「怖さ」さえ感じます。
挑戦の中身やリスクを説明したうえで「それでもこういう課題はあるよね」と議論するのと、
挑戦だけを茶化して“キャラいじり”に使うのとでは、記事が読者に渡すメッセージはまったく違います。
じゃあ、どういう切り口ならまだフェアだった?
今回のテーマ自体は、まっとうに書けばかなり意味のある話です。
- グローバル作品と国内作品が同じ俳優を取り合うようになってきた現実
- 映画プロモーションが「主演俳優に依存しすぎる」構造
- スケジュール調整の透明性・契約・事前合意のあり方
例えば、こんな書き方もあり得たはずです。
1️⃣ “殿様”ではなく“設計”の問題として語る
- 「人気があるからトラブルは宿命」ではなく、「人気があるからこそ、配給・事務所・海外制作の三者で早めに設計しておく必要がある」と書く。
- 先に決まっていた映画側への説明タイミングや、リスクの共有がどうだったのかを検証する。
2️⃣ 浜辺さんを“皮肉役”にしない
- 浜辺さんのコメントは、あくまで「忙しさへの驚き」として扱う。
- どうしても皮肉説に触れたいなら、「そう受け取る人も一部にいた」と距離を置く書き方にする。(100歩譲ってですが)
3️⃣ 匿名の声は「代表」ではなく「一例」として
- 「もう使いたくない」という声が「本当に」あるなら、その背景(予算・スケジュール・リスク)を丁寧に説明する。
- 「こうした不満の声もある一方で、海外挑戦を評価する声も制作側にはある」と複数の視点を最低限示す。
そうすれば、「人気者いじり」ではなく「グローバル時代の制作現場の課題」として、ずっと建設的な記事になったはずです。
まとめ:人の人生をかけたチャレンジを“キャラ”で消費しないために
「世界に出る」という挑戦は、本人にとっても、共演者にとっても、現場にとっても大きな賭けです。
だからこそ、
・何が問題だったのか
・どこを改善できるのか
・誰にどんな負荷がかかっているのか
を、構造として言葉にする記事が増えてほしい。
誰かの人生のチャレンジを、「殿様」「将軍様」といじるためのネタにしてしまうニュースが減っていけば、少なくとも今よりは、もう少し空気のきれいな情報環境に近づけるはずです。