世界陸上やり投げで北口榛花さんが予選敗退。
記事は「悲鳴」「ハシゴ外された」と大見出しで盛りました。
けれど国立競技場に響いたのは、観客の拍手と本人の「感謝」でした。
さて、“悲鳴”を足したのは誰でしょう。
何が起きたか
世界陸上やり投げ北口榛花まさかの予選敗退!ハシゴ外された決勝チケット5万人の悲鳴
- 北口榛花さんは予選14位で敗退。
- 本人は「強くなって戻る」「皆さんに感謝」と前向きに発言。
- 記事は「まさかの」「悲鳴」「ハシゴ外された」と感情語で装飾。
「悲鳴」ってどこから?
決勝チケット5万人分が「悲鳴」になった、と見出しは断言。
でも実際は「大歓声」と「拍手」で送り出されています。
これは観客の声より記事の脚色が大きかったのでは?
SPJ Code of Ethics が言う「Provide context」を逆にたたんだ事例です。
「ハシゴ外された」の誰得ドラマ
「真っ先に完売したチケット」「期待の女王」→「裏切られた観客」と落とす展開。
これは事実の並び替えで「選手=加害者/観客=被害者」を作った構図です。
でも北口さんはケガからの復帰戦で全力投球。
記事が勝手にハシゴを立てかけて、勝手に外しています。
Council of Europe Resolution 1003 が警告するセンセーショナリズムの典型です。
涙=失敗の早回し
「涙をこぼした」と書けば即「悲劇」ラインに乗ります。
でも北口さんの涙は「挑戦を続けられた感謝」と「次への約束」。
記事が勝手に“涙で採点”してしまったのです。
これは IFJ Global Charter of Ethics が禁じる「偏見的解釈」に近いものです。
ここが読みたい:挑戦のリアル
- ケガからの復帰で投げ切った背景
- 「強くなって戻る」と語った前向きさ
- 観客が実際に送った拍手と応援
「悲鳴」や「ハシゴ外し」より、このリアルを伝える方が読者も納得できます。
見出しリライト
- 元:世界陸上やり投げ北口榛花まさかの予選敗退!ハシゴ外された決勝チケット5万人の悲鳴
- 案1(事実+前向き):北口榛花さん、予選敗退も「強くなって戻る」と前を向く
- 案2(感謝・人間性):やり投げ北口榛花さん、涙で語った「皆さんに感謝」の思い
- 案3(丁寧・誠実):世界陸上女子やり投げ 北口榛花さん、挑戦を終えて前を向く
まとめ:悲鳴よりも、エールを届けよう
記事は「悲鳴」と書きました。
でも北口榛花さんが示したのは「感謝」と「戻る」という約束です。
あの涙は敗北の印ではなく、未来への合図です。
彼女が再び大舞台に立つその日まで、私たちができるのは「悲鳴」ではなく「声援」を送ること。
北口選手の挑戦は、これからも続いていきます。
— SmokeOut(憶測の“書き方”を、読み方でほどく)